kerokeropurinの日記

19卒で就活をしていた女です。就職活動のこと、趣味のこと、部活のことなど、おもむくままに書きおきます。

ライオンのおやつ

 

こんにちは、お久しぶりですね

誰も読んでいないブログに話しかけるのもおかしな話だけれど、久しぶりなのでまずはご挨拶と近況を。

 

コロナ禍で大変な今日この頃。在宅勤務に勤しんでいます。自分の生活が脅かされるような職ではないので、比較的安心して過ごせますが、十何年ぶりに家族4人で過ごす日々が恐ろしく窮屈で、父親が単身赴任していたことでこの家庭はもっていたんだと心底絶望しています。DV家庭の子供たち、お母さんたちが、どこにも逃げ場のないこの状況をどうやって凌いでいるのか、無事を願うばかりです。

 

 

近況はこの辺りで、本題へ。

本屋大賞2位を受賞した「ライオンのおやつ」を今日買ってきて、早速読了しました。

・著者が小川糸さんであること

・「おやつ」を題材にした本

ということで、もともと気になっていた本でしたが、今回本屋大賞ノミネート作となったことで購入しました。今回はこの本について、今感じていることなどつらつら書きたいと思います。

 

本のあらすじ

33歳という若さで余命宣告をされた雫は、ホスピスに入り、周囲の協力を得ながら、自分の生死を見つめ、生涯を全うする。雫が最期を過ごしたホスピスでは、入所者の最期に食べたいおやつが振る舞われ、そのおやつひとつひとつに込められた物語がある

 

感想

もともと、「死」に対して意識的に強い恐怖感を持っている私にとって、この本がよりどころとしたいような死の考え方を教えてくれた気がしています。

 

死んだらどうなるんやろうか

それは誰しも考えたことのあることかと思います。私もそのひとりでしたが、特に東日本大震災のあとからは、死ぬということにとても強い、けれど、漠然とした恐怖を感じるようになりました。

漠然とした恐怖の中でも、自分という存在が消えるということ、今の思い出や大切な人の記憶、自分の意識がなくなるということがとても恐ろしく感じていました。

特に自分という存在が消えることについては、ディズニー映画の「リメンバーミー」で描かれていたように、死後の魂は、生の世界で覚えてくれている人がいなくなったら、消えてしまう。自分の存在が消えてしまうことを魂はとても恐れており、やはり思っていた通り自分はいつかきれいさっぱり消えてしまうんだと思い込んでいました。

 

でも、今作で描かれていたのは少し違うように感じます。

それを表すのは、マドンナが「死ぬとき、死んだ後のこと」を語ったことばです。

 

・その人の元になっている意識、エネルギー自体は決してなくならない

・生死は入り口と出口のようなもの。生まれることと死ぬことは背中合わせ。

・形を変えながら未来永劫続くもの、だから始まりも終わりもない

 

たしかに思い出や記憶が残るとまでは、言っていないけれど、死は終わりではないというその考えが私の恐怖を救ってくれたように思います。

 

さらにマドンナは、

・死は最大級のオーガズムではないか

という、斬新な考えまで死に怯え切った私に提示してくれました。

 

雫がホスピスで過ごした1.2ヶ月が、私にとってこれから生きるであろう何十年もの人生に勇気を与えてくれました。

 

遺された側の心情が今回は穏やかなものだったけれど、不慮の事故などで大切な人を失った方々の心情はどのように救われたらいいのか、そこが今作ではわからないところだったので、次はそれを学べるような、本に出会えたらと思います。

 

ライオンのおやつは、他にも感じるところがたくさんあったので何度も読み返して、また感想を書きたいと思います。